鹿島神宮

 
創建:神武天皇1年(紀元前660年)
社格:式内社(名神大)・常陸国一宮・官幣大社・勅祭社・別表神社

日本全国に約600社ある鹿島神社の総本社です。同県神栖市にある息栖神社、千葉県香取市にある香取神宮と合わせて東国三社と呼ばれます。

平安時代に、「神宮」の称号で呼ばれていたのは、延喜式神名帳によると伊勢神宮・鹿島神宮・香取神宮の3社だけという。

武甕槌神(タケミカヅチ)を祭神とする。タケミカヅチは葦原中国平定においてアメノトリフネとともに葦原中国(あしはらのなかつくに)の荒ぶる神々を制圧し、タケミナカタとの戦いに勝利し、葦原中国を平定した。元々は鹿島の土着神で、海上交通の神として信仰されていた。ヤマト王権の東国進出の際に鹿島が重要な地になってきたこと、さらに、祭祀を司る中臣氏が鹿島を含む常総地方の出で、古くから鹿島神ことタケミカヅチを信奉していたことから、タケミカヅチがヤマト王権にとって重要な神とされることになった。平城京に春日大社(奈良県奈良市)が作られると、中臣氏は鹿島神を勧請し、一族の氏神とした。

国宝
直刀・黒漆平文大刀拵(ちょくとう・くろうるしひょうもんたちごしらえ)、附:刀唐櫃
「布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)」「平国剣(ことむけのつるぎ)」とも呼ばれる。柄(つか)・鞘を含めた全長2.71m、刃長2.24mの直刀。奈良時代末期から平安時代初期の制作。現存する伝世品(出土品でない)の日本刀の中では、古例の一つであり、また刃長の点では最大の作品とされる。これほどの長大な刀身を作るために、途中4か所で刀身をつなぎ合わせるという極めて珍しい手法を使っていることが判明しており、技術的にも貴重な存在である。外装(柄・鞘)は、黒漆塗りの上に平文(ひょうもん、金銀などの薄板を貼って文様を表わす技法)や金銅透かし彫りの金具で装飾を施した古様な技法によるもので、正倉院の「金銀鈿荘唐大刀」の流れをくむ

歴史の長い神社はどこでもそうですが、このような大木の参道が何よりも好きです.
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